スクランブルな私たち-メールとかLINEとか
コミュニケーションが問題だ
「メールには出来るだけすぐに返信しなさい。『忙しいので後で返します』でもいいから」
ビジネスマナー講座で必ず教えられることのひとつだ。
業務時間は(一応)9:00-17:00で、私たちは業務時間中それほど暇なわけではない。
それでもなぜか24時間ルールが存在する。
また、twitterのメンションになかなか返事がないと私たちはやきもきする。
LINEで既読スルーなんてされた日には相手の印象はガタ落ちだ。
私たちのコミュニケーションは、どんどん余裕がなくなっている。
これはどうしてなんだろう。
ITサービスは24時間スクランブル
私はSEを仕事にしているが、システム障害が発生した時は一大事である。
データセンターからはどんな夜中であっても連絡が飛び込んでくるし、その連絡を受けてしまうと*1場合によっては駆けつけ対応をしなくてはいけない。
社内向けシステムなら翌営業開始までに間に合わせればよいのだけれど、顧客向けシステムだとなかなかそうはいかない。
時々、「こんな夜中にコミュニケーションがとれると思うほうがおかしいよ」と愚痴混じりに思ってしまう。
それでも私たちはサーバが異常を起こせばすぐに対応しなければならない。
それは、サーバは24時間稼働しているのが普通だからだろう。
普通についてはこの記事で書いた。tsukaki1990.hatenablog.com
私たちは、サーバが24時間動いていないとやきもきするようになってしまった。
それは電気が24時間たえず供給されているのが普通だからだ。
「返答がない」に与えられる意味
翻って、コミュニケーションについて考える。
私たちのコミュニケーションも24時間態勢に近づいている。
夜中にふと目が覚めてLINEを見てしまい、なんか来てるけど明日返せばいいや。
これだけのことで既読スルーの出来上がりだ。
すると、「無視されたか」「機嫌を損ねたか」という可能性が頭をよぎる。
メールにしても同じことである。
始業時間くらいに送ったメールに夕方になっても返事が来ないと、私たちは相手の気持ちを察し始める。
ここでは、何か送れば返事が帰ってくるのが普通になっている。
加えて、「何も返ってこない」ことに心理的な意味が与えられている。
私たちはサーバになってしまった
いつの間にか、「すべての行動には意図がある」と思うようになってしまっている。
そうなってしまったことはもう取り戻しようがない。私たちはそうした世界に生きている。
私たちは24時間意味を持ち続けている。
この意味で、私たちはすでにサーバなのだ。
何をするにしても心理的な意味が与えられてしまうのであれば、すぐに返答するのが一番だ。
だから、例えばLINEの自動返信サービス、「いま寝てるから明日ね」みたいな設定が出来るものがあれば当たる気がする。
たとえそれがコンピュータからの自動送信でも、返事をしたように見えればそれでいいのだ。
*1:私は結構な割合で寝過ごしていた