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わからないことを分からないまま書きたい

何が運命を決めるのか - 『イリアス』を読んでいて

前々から読みたいと思っていたイリアスを読んでいる。

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

イリアス〈下〉 (岩波文庫)

イリアス〈下〉 (岩波文庫)

トロイエの王子パリスがアカイアの王女ヘレネを誘拐したせいで発生したトロイア戦争の7年目から終わりまでを描くこの叙事詩は映画にもなっているしトロイの木馬というフレーズは多くの人が聞いたことがあると思う。
トロイエもアカイアも望んでいない戦いのなかで人間が見せる輝きと運命のうねりが力強く表現されていて、こんなに面白いとは思っていなかった。

この戦いにはギリシアの神々が頻繁に参入してくる。天界から戦場へ働きかけることもあれば、実際に戦場へ出向いて檄を飛ばしたり戦闘へ加わったりする。
興味深いのは、神々も運命を変えることはしない点だ。
最高神ゼウスがトロイエに力添えする際も、両軍の運命を秤にかけている。

父なる神は黄金の秤を平らに拡げ、悲歎を呼ぶ死の運命を二つ(中略)載せ、秤の中央を掴んで持ち上げると、アカイア勢の運命の日が下がった (第8歌)

神は運命の状態にアクセスすることは出来るけれども、運命を変えることはない。
そして人間は神のふるまいを通じて運命を感じ取り、それに従うことになる。

では、神に更新権限のない運命というプログラムはどのように生成されるのだろうか。
イリアスの運命が結果を説明するために、あるいは神の行いを筋づけるために用いられているいくらか都合のよいものだとしても、この問いはなお有効なのではないか。
この問いに今はまだ暫定的にでも答えを与えることはできないけれど、これからものを考えるにあたって考えを規定するものにはなると感じている。