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わからないことを分からないまま書きたい

新しい調和を求めて―争いについて

はじめに

現代はテロと戦う時代になった。

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テロとの戦いは、その非対称性に特徴があるとされる。

非対称戦争は、「地理的」「量的」「質的」という3つの非対称性を特徴としている。
(中略)
「地理的な非対称性」とは、対立する2つの勢力の間で、戦う場所が異なっていることだ。
(中略)
「量的な非対称性」とは、戦闘員の人数に大きな差があることだ。…使用される武器に関しても同じことが言える。
(中略)
最後に、戦力の「質的な非対称性」がある。一方は、訓練を受けた兵士が軍隊として組織された集団であり、それに立ち向かうのは、軍服も軍隊もない戦闘員の小グループだ。

テロリストが軍隊よりも優位に立つ「非対称の戦争」はすでに始まっている(2) | COURRiER Japon NEWS

この新しさは戦闘のグローバル化ともいえる。
グローバル化とは拡散可能性のことだ。
だから、ひとまとまりの戦闘地域から紛争は拡散し、ひとまとまりの軍事組織から武力が拡散し、ひとまとまりの軍事水準から軍事力が拡散する。
だから、テロの新規性は技術的なものであって、その意味するところはこれまでの戦争・紛争と変わらない。
争いの本質は、ノイズの排除にある。

喝采、ブーイング、轟き

ある領域を支配する、統治するとはどのような営みだろうか。
統治体制には空間、規則、担い手が存在する。*1
この構図は、あるホールで譜面に沿った旋律が奏者によって奏でられることと同じだ。

問題になるのは、この旋律がどのように届くのかということだ。

統治に賛同するものは喝采をもって応じる。ブラーボの声が響き、奏者たちは演目を進めていく。
反目するものはブーイングをもって応じる。しかし、ホールは奏者によって占められている。だから奏者たちはブーイングを上回る音量で演奏し、ホールの調和を上塗りしていく。抑圧とは統治の轟きのことだ。

失われた声を求めて

轟音の中で、抑圧された者の声はどこにも届かない。
そして、喝采を送る者の手によってその口はふさがれる。あるいは、喝采を強制される。ある者は無気力にブラーボの声をあげる。
抑圧の中を生きることは、轟くノイズの中を声を失って生きることだ。

抑圧された、失われた声はどこに響くだろう。
ある者は徒党を組み自らの歌を歌い上げる。
ある者はホールを去り、密やかにしかし力強く歌う。
ある者の歌は、喝采を送る聴衆の友人に送られる。友人たちは突如現れたノイズに苦しめられる。

旋律をめぐる争いは終止符にたどり着かない。上塗りはどこまでも続き、失われた声はその響きを求め続ける。

音楽の名のもとに

いま、私たちは聴衆としてこの旋律をめぐる争いに臨んでいる。
音楽が大小さまざまに響きわたるこの空間で、どのように振る舞えばよいだろうか。

喝采も反目もそぐわない。それでは響きわたる音楽を味わい尽くせない。
音楽に耳をふさいではならない。音楽はどこまでも響いてくる。
私たちが求めているものは何か。それは調和ではなかったか。

聴覚空間にはつねにある調和とそこに拾いきれないノイズがある。
これまでの争いはそのノイズを取り除くことを目指し、その目論見はすべて失敗した。
私たちは新しい調和を求めている。そして、その調和の前には今ある、さらにはこれから生まれるすべての音楽は等しい価値をもつ。
音楽はすべてノイズを拾いきれない。しかし拾えるノイズを増やすことはできる。
つねにより良い調和を求めていくこと。それが目指すべき聴衆のあり方だ。そのためには技術がいる。私たちは音楽批評をしなければならない。

より良い調和のために、だがどうやって?

ここではここまでしか書かない。批評の技術については改めてまとめる。

*1:主権国家においては、領土、主権、人民とよばれる