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わからないことを分からないまま書きたい

無償の優しさはどこから来るのか―優しさの原因分析

はじめに

読者になっているblogで、こんな記事があった。

優しさの分類 - shigusa_t’s diary

優しい、ということについて考えるきっかけになったので紹介する。
人が優しいとは、優しいとは何だろう。


引用元では、優しさを3つに分けていた。

  • 弱い優しさ

弱い優しさは、他人を思いやる。その裏返しとして、自らを防衛する。

優しさの分類 - shigusa_t’s diary

その本質は、自分が他人に嫌われないようにすること、他人によって自分の価値を確認することに繋がっている。

優しさの分類 - shigusa_t’s diary
  • 強い優しさ

強い優しさは、他人に何かを与える。その裏返しとして、自らの幸せを追求する。

優しさの分類 - shigusa_t’s diary

その本質は、自分から他人にはたらきかけること、他人と与え合うことへの期待に繋がっている。

優しさの分類 - shigusa_t’s diary
  • 身勝手な優しさ

強すぎて身勝手な優しさもある。
与えること、それによって認めてもらうことが嬉しいばかりで、相手からの反応や働きかけは捨象してしまうようなケース。

優しさの分類 - shigusa_t’s diary

でも、ここに書かれていない優しさがあると思った。
今回はそれについて書く。

届かなくても構わない優しさ

引用元の優しさは、それが相手に届くことを想定している優しさだ。
だから、相手との相互作用を期待する。

でも、相手に届かないこと、一方通行で完了することを想定している優しさもあるだろう。
本来の寄付はまさにこの現れだ。ここでは、相手からのレスポンスは期待されていない。
自分が誰であってもよいから、相手にはよりよい生活を送ってほしい。そうした優しさがある。

また、ある場面での母親の愛もこれに含まれる。そこでは、子どもからの見返りを受け取らない。

ここでは、それを無償の優しさと呼ぶ。

無償の優しさは何から来るのか

受け手の反応を期待しない優しさ、無償の優しさは何から来るだろう。
そこに虚栄心はない。誇る相手がいないからだ。
そこに怖れはない。一方通行で済むからだ。
そこに喜びもないかもしれない。相手の境遇を知る機会は必ずしもあるわけではないからだ。

そう考えると、無償の優しさは感情の前にある。
感情は、優しさが現れた後についてくる。

感情の前にあるものは何だろう。優しさに限って言えば、憐れみ、あるいは愛ではないだろうか*1

憐れみも愛も、相手のあり方から自ずと生じてしまう。
そこに感情はない。これらは感情の前にある。

では、憐れみ、愛とはなんだろうか。

憐れみの正体

憐れみは自ずと立ち現れる。
憐れみによって、その対象と自分との間には強い関係性が結ばれる。
まるで岸壁から落ちようとしている人の手をつかんでしまったような。憐れみを途切れさせることができない。

また、憐れみのもとでは、所有という概念がない。所有は憐れみのあとで発生する。
純粋な憐れみが現れるとき、すべては自分と相手の間で共有されている。
共有されたものの中で自らの所有分を確認し、与えられる剰余を相手に渡す。

憐れみから出る行動は、自分の中で善いとしていることだ。
相手からの反応を期待しない以上、その基準は自分のなかで持つしかない。

憐れみは次の言葉に要約される。「できるだけ他人を害することなく、自らの善をなせ」

愛の正体

愛にはいくつかの現れかたがある。

  • 愛着

馴染み深いものに対する愛。これは他者に対して共有されることもないし、愛の対象に明かされることもない。

  • 友愛

ともに対する愛。社会を離れ、友人との関係性に閉じたものになる。そこでは互いに愛情を感じ合うかもしれないし、そうではないかもしれない。
優しさの起因として考える場合、それは関係性の継続を願うというよりは友の存在の尊重からくる。

  • エロース的愛

単なる欲求を超えて、相手を称える愛。そこでは相手に尽くすことによって自らの愛を確認する。

  • 恵愛

世界を超えたものへの愛。そこでは愛が届く保証がない。同様に、愛に対する確実な見返りも期待できない。

どれも、相手へ与える場合にはその見返りを期待しない。
隠れているか、相手へ向かっているか、自己に閉じているかの違いはあれ、共通項は反応によってよしとされるわけではないことだ。

優しさの優劣はあるのか

ここまでで、優しさの類型を見てきた。では、それらの間に優劣はあるだろうか。

結局のところ、どの優しさからくる行為であっても外に表現された時点で環境へのアウトプットに変わる。
そこに性質は関係ない。アウトプットは単に機能であるからだ。

だから、優しさには優劣をつけてはならない。徹底してアウトプットの内容で評価する。
身も蓋もない言い方をすれば、受け手の受け取り方次第なのだった。

参考図書

今回の参考図書は2冊。

憐れみについて

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

憐れみといえばルソー。人と人の結びつきの根源を憐れみに求めている。
彼の自然状態はおそらくこれのキュプロクスに発想を得ている。

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

愛について

四つの愛[新訳] (C.S.ルイス宗教著作集)

四つの愛[新訳] (C.S.ルイス宗教著作集)

本来はキリスト教的な要素に触れたほうがこの本の論旨に合っていると思う。
ただ、自然的な(=非宗教的な)愛についての論評も見事なので今回はそちらを採用した。

宗教的な本でも、実践的な課題に挑戦しているものもあることを学んだ本。

*1:ここで憐れみ、愛が唐突に出てきてしまうのはこの記事にそう書いたから。→偶然を飛び越えろ-愛、憐れみ、責任 - tsukaki1990@blog