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わからないことを分からないまま書きたい

評価の前にあること―「普通」を数えてみませんか

改善のための評価、その見つめ直し

社会生活を送るうえでついて回るのが、改善という言葉です。
例えばPDCAサイクルは「計画→実行→評価→改善」というサイクルです。
主目的は改善点を見つけて、よりよくすることです。

改善には評価が必要です。でも、評価とはどのような行為でしょうか。

現実を「違うもの」と見ること

評価とは、ものとものの間の違いを見ることです。
減点法、あるいは加点法は「違い」に着目しているという点で同じものです。

減点法 標準と現実のうち、「標準に届かなかったこと」を認識する
加点法 標準と現実のうち、「標準を上回ったこと」を認識する

でも、適切な評価を行うためには現実を適切に記述することが必要です。
では、記述とはどのような行為でしょうか。

記述は「ある」ことから始まる

私たちは、あることもないことも記述できます。

  • 「手持ちのお金は1,000円だけある」「お会計には500円足りない」

また、余分にあることも記述できます。

  • 「手持ちのお金は1,000円だけある」「お会計しても500円余る」

ここで注意したいのは、「ない」の記述の前、「超えている」の記述の前には「ある」の記述が必要だ、ということです。

偏り方が問題だ

現実は無限の要素でできています。その中から一部を切り取って評価することは、端的に言って偏っています。
必要なことだけ認識する、という点で私たちの認識はつねに偏るものですが、どう偏らせるかが問題です。

減点法も加点法も、標準を超えたこと、標準を超えなかったことしか見ません。
標準において基準とされる指標以外、「ある」ことを切り捨ててしまうのです。

標準は、特定の目的のために作られます。一方で、私たちは特定の目的のためだけに出来ていません。
標準の目的の外にあること。これに着目することで見えてくることがあります。

「普通」のためのコスト

私たちは日々の生活で色々なことをしています。
食事の用意をしたり、外にでかけたり、知り合いの人と話したり。
それらは必ずしも標準に含まれていません。そして、標準に含まれないことを私たちは「普通」と呼んでしまいがちです。

でも、普通を実現するために使ったコストがあるのです。何もしないことからは普通は生まれません。
「当たり前は当たり前じゃない」というのはそういうことです。
そのコストに着目する、自分が普通のためにどれだけを費やしているかを記述する。
このことから見えてくることがあるのではないでしょうか。

だから、まずは「普通」を数えることから始めてみませんか。
「普通」のためにどれだけ頑張っているか、記述してみませんか。

思いの外、「普通」は保つのが大変です。その大変さを見てみることは意味のあることだと思います。

余裕があるときに

自分の「普通」を見つめなおす方法は他にも色々あります。
そんな方法を紹介している本があります。

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

分厚い本です。でも、どこからでも読める本でもあります。
元気のあるときにパラパラめくってみると、何か得るものがあるかもしれません。