自己はどのようにしてあるのか-環世界と受動的生
はじめに
前回の記事で自分を定義することの失敗例を考えた。
では、どのような問いのたて方がよいのだろうか。
問いの立て直し
「私はどのようであるのか」と尋ねてみたら失敗した。
では、「私はどのようにしてあるのか」と尋ねてみることにしよう。
この2つの問いの違いについては、以下のような認識でいる。
- 「私はどのようであるのか」;私が存在していることを前提に、その存在の態様を聞いている
- 「私はどのようにしてあるのか」;私が存在している、その存在のしかたを聞いている*1
「この私」の定義はその存在の根拠にまで遡る必要があるのかもしれない。
「この私」の位置づけ
空間的位置-「この私」はどのような空間にあるのか
私たちの認識はつねに「何かについて」の認識であって、事物ではなくてそれに自ら付与した意味を認識している。
例として椅子を考えると、
- 記述されるべきものとして認識される「椅子」は、「四脚を持った長方形の平面」くらいに認識され、そのように記述される。
- 座られるべきものとして認識される「椅子」は、「しっかりした座面と崩れない足」くらいに認識され、そのように座られる。
- 足場になるべきものとして認識される「椅子」は、「用をなすだけの高さがあってくずれない足場」くらいに認識され、そのように足場にされる。
このように、私たちは周囲にある環境から何らかのサインを見つけて、環境に対して作用する。
環境と「この私」とは切っても切れない相互に不可分な関係にある。
概念操作のような心的作用においても同様で、ある概念にどのような意味を与えるかは
- その概念にどのようなサインを見出し、
- どのような操作を行うか
という、概念と「この私」の相互不可分な関係性のもとでなされる作用である。
環境との不可分な関係性は必ずしも他者と共有可能である必要はなく*2、私たちはそれぞれに主観的な環世界の中で生きている。
時間的位置-「この私」はどのような時間を生きるのか
ここでは、「この私」と生まれること、死ぬことの関係性について考えたい。
私たちは生まれる環境、時を選ぶことができない。
自らの生という事実に対して、私たちは主体性も能動性も持つことができない。
私たちの生成はつねに受動的であり、当然ながら完了している(「生まれてしまった」)
私たちは、自らの死を経験することはできない*3。
死について、私たちはいつ、どのようなものが訪れるのかまったく分からないでいる。
(「訪れる」というのも比喩である。実際には私たちが死を捕まえに行くのかもしれない)
一方、私たちの生は現在において継続しながらつねに完了している。*4(「私は現在を生きている/しまった」)
完了は死が訪れなかったその瞬間まで及ぶ。
私たちは死によって時間を刻まれながらその都度自己の生を完了している。
また、私たちは自死を選ぶことができる。
したがって、私たちの生は「あえて死のうとしていない間」のことでもある。
私たちの生は受動的に与えられ、「死なない間だけ生きている」。
残された能動性は、ただ終わりを自分で迎えることができるという点にのみある。
小休止
「この私」をめぐって色々考えてみたものの、「この私はこのようにしてある」という命題に至るにはあまりに道のりが遠い。
弾切れの感もあるので、小休止してネタを仕込んでおきたい。
とはいえ、現時点で方向性として目論んでいるのは、
- 「この私」が存在しているという事態を考えてみる
- 「存在する」ことの意味を存在「しなくなった」ものから考えてみる
の2つは何となくいけそうな予感がする。
参考にしたもの
環世界の考え方はここからもらった。薄いし読みやすい本なのでおすすめ。安い。
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*1:「どうして私は存在しているのか」「私という存在はどのようにして可能なのか」というものに近い感覚ではある。厳密にはニュアンスが異なるので採用しなかった
*2:たとえば、次のような状況を考えてみる。 「今の人キレイだった」「え?気づかなかった」というやり取りにおいて、同じ通りすがりの人Aは、一方は注視すべき対象としてのサインを見たものの、もう一方はサインを見なかった、あるいは「無視してよいもの」というサインを受け取っているのである
*3:この点、実際には他者の死も経験していないのではないか、経験するのは「永遠の不在」だけなのではないかという思いがある。これは別にして書く。
*4:「見る」という動作が「見ている」うちに「見てしまった」を含んでいるのと類似している。