何が運命を決めるのか - 『イリアス』を読んでいて
前々から読みたいと思っていたイリアスを読んでいる。
- 作者: ホメロス,Homeros,松平千秋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/09/16
- メディア: 文庫
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トロイエの王子パリスがアカイアの王女ヘレネを誘拐したせいで発生したトロイア戦争の7年目から終わりまでを描くこの叙事詩は映画にもなっているしトロイの木馬というフレーズは多くの人が聞いたことがあると思う。
トロイエもアカイアも望んでいない戦いのなかで人間が見せる輝きと運命のうねりが力強く表現されていて、こんなに面白いとは思っていなかった。
この戦いにはギリシアの神々が頻繁に参入してくる。天界から戦場へ働きかけることもあれば、実際に戦場へ出向いて檄を飛ばしたり戦闘へ加わったりする。
興味深いのは、神々も運命を変えることはしない点だ。
最高神ゼウスがトロイエに力添えする際も、両軍の運命を秤にかけている。
父なる神は黄金の秤を平らに拡げ、悲歎を呼ぶ死の運命を二つ(中略)載せ、秤の中央を掴んで持ち上げると、アカイア勢の運命の日が下がった (第8歌)
神は運命の状態にアクセスすることは出来るけれども、運命を変えることはない。
そして人間は神のふるまいを通じて運命を感じ取り、それに従うことになる。
では、神に更新権限のない運命というプログラムはどのように生成されるのだろうか。
イリアスの運命が結果を説明するために、あるいは神の行いを筋づけるために用いられているいくらか都合のよいものだとしても、この問いはなお有効なのではないか。
この問いに今はまだ暫定的にでも答えを与えることはできないけれど、これからものを考えるにあたって考えを規定するものにはなると感じている。
息子と私と用具性 - 子どもとの出会い方
昨日子どもが産まれた。
二人目だけれど、やっぱりというか、長男と変わらずかわいいと思った。
これからはこれまでとはまた違った子どもとの暮らしを送ることになると思うと、色々と感じるものがある。
私は私を知っている、それでも私には出会えない-なぜ私はぴたりと表現されないか
自らのことを指し示すことが苦手な人は少なくないと思う。
自分のことを表現する難しさについては書いた。
今度は、自らについて述べられたことの正しさを判断する場面を考えたい。
私たちは自分のことについて表現されたり評価されたりすることがある。
それはセミナーでよくある他己紹介だったり、あるいは勤め先での能力評価だったりする。
こうしたとき、私は表現や評価がぴったり私を表現できていると感じることが少ない。
表現には限度がある。私の全体はその限度を超えてあるからぴったり表現されない。
これは確かにそうなのだけれど、今回考えたいのはそれではない。
その表現や評価がその射程において捉えている私は、どうも正しく私ではない。私についての表現はなかなか的を射ることがない。こうした現象はどうして起きるのだろうか。
私が表現されるとはどのようなことなのか。私は私についての表現をどのように受け取るのか。
今回はこのことを考えたい。
こころの近さを考える―寄り添うこと、寄りかかること
どんなことでも、物事には距離がある。
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